こんにちは。
小学校受験でおなじみの受験対話総合研究所の平野伸明です。
今日は、「受験対話」に、「娘のことばが悪いのではないか」と、
心配されているお母さまが、訪ねてこられました。
娘さんは、小学校受験をして、有名私立小学校に通う4年生です。
先日、小学校の父兄会で、娘さんのことば遣いについて、担任の先生から注意を受けたそうです。
先生に、「ことばの躾は、家庭教育の問題だ」と言われた。
お母さまは、お子さんを、有名なお嬢様学校に通わせれば、
いい教育が受けられ、おしとやかに育ってくれるだろうと思っていた。
もちろん、「ことば遣い」もよくなるだろうと。
ところが、「ことば遣い」は、どんどん悪くなり、
とうとう、担任の先生に、家庭の問題だと言われて、困り果てて、相談に来られたのです。
みなさんは、どのように思われるでしょうか?
まぁ、それにしても、そうした言葉の「よい」「わるい」は、
どのような基準で決められるのでしょうねー。
たとえば、敬語の問題です。
最近の子どもは、先生に対して、敬語が使えない、とよく言われます。
ところが、敬語というものは、使えば使うほど、相手との距離感が増して、親密度が薄れます。
よそよそしい感じになことは、お母さま方も経験があることでしょう。
教室が、先生と生徒の豊かな一体感を目指す所であるとすると、
緊密なふれあいの中では、敬語の使用は当然少なくなります。
そのような場で「先生に対しては敬語を使え!」という注意は、
それ自体、矛盾をはらんでいますよね。
つまり、子どもたちの本来の言語活動を妨げることにもなるのです。
と、このようなことを考えていて、ふと思い出した文章がありました。
九州大学教育学部の2002年の入試問題に出ていました。
前田秀樹さんの『倫理という力』という文章です。
要約すると、次のようになります。
たとえば、料理人になりたいと思ったら、
すばらしい先輩から、そのあこがれの技術を学びたいと自然に思う。
だから、先輩からの指示に従い「躾」を受けることも、
また、あこがれの先輩からのいい影響、「感化」を受けることにもなる。
あこがれる「技術」があるところには、「躾」と「感化」がある。
ところが、学校の勉強には、子どもたちが、あこがれるような技術がない。
あるのは、「受験技術」くらいだ。
学校の勉強には、子どもたちが、尊敬できる技術がないから、
それを教えている先生から、「躾」や「感化」を受けることもない。
というような内容です。
教育学部の入試問題に、このような内容の文章を出すなんて、
九州大学、やりますねーと、感心したので、よく覚えているのです。
ところで、今日、ご相談に来られたお母さまには、
「受験対話」の「親子で学ぶ日本語教室」でのレッスンに参加することをお薦めしました。
この教室では、小学校では習えない「ことば」の訓練をしています。
この訓練を受けると、どうなるのか?
学校の成績が上がることは、もちろんですが、
その成果は、学校の先生方や他の生徒たちから、
「生徒会長」にしたい子として推薦されるようになります。
つまり、人に好かれる子になるのです。
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